【佐賀】「九州に邪馬台国があったというのは無理がある」 ネット中継で「畿内vs九州」論戦、両者一歩も譲らず…吉野ケ里歴史公園★6


 
http://daily.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1476429952/ 
 
1 名前:ニカワ ★[sageteoff] 投稿日:2016/10/14(金) 16:25:52.52 ID:CAP_USER9.net 
  九州派と近畿派がインターネット中継で意見を交わした「歴史バトル」  
  http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/10/11/20161011dd0phj000018000p/9.jpg

 
  インターネットを通じ、邪馬台国の九州説、畿内説に分かれて議論する研究者  
  http://www.nishinippon.co.jp/import/saga/20161010/201610100002_000.jpg

 
  持論を展開する石野さん(右から2人目)と進行の今尾さん(右端)=9日、明日香村の県立万葉文化館  
  http://www.nara-np.co.jp/photo/aa4d3e0a6b5224978ebc2c01dbd116be.jpg

 
  http://www.nara-np.co.jp/20161010103950.html  
   
   吉野ケ里歴史公園(吉野ケ里町)で9日、特別記念フォーラム「歴史バトル『邪馬台国はどこだ?』」があった。同公園と奈良県明日香村の県立万葉文化館の両会場をインターネット中継し、九州説派と近畿説派がそれぞれの持論を展開した。  
   
   吉野ケ里歴史公園で開催中の特別企画展「よみがえる邪馬台国 邪馬台国と謎の国『不弥国』」(11月6日まで)に合わせてフォーラムを企画。両会場には多くの考古学ファンが詰め掛けた。  
   
   吉野ケ里歴史公園の会場には、九州説を唱える佐賀女子短大の高島忠平名誉教授ら3人の研究者が登壇。奈良県側は近畿説を推す香芝市二上山博物館の石野博信名誉館長ら3人が参加した。  
   
   両派は主張を一歩も譲らず討論を展開した。九州派は「魏志倭人伝」に記された邪馬台国の特徴が吉野ケ里遺跡の建物跡の配置と酷似していることなどを指摘した。  
   
   一方、近畿派はこれまでに出土した卑弥呼の時代の鏡のほとんどが近畿地方で見つかっている点を強調し「九州に邪馬台国があったというのは無理がある」と主張した。  
   
   参加者たちは、資料を手に熱心にメモを取り、古代のロマンに胸をときめかせた。【松尾雅也】  
   
  http://mainichi.jp/articles/20161010/ddl/k41/040/179000c  
   
   九州説か、畿内説か−邪馬台国の場所を巡って討論するフォーラムが9日、吉野ケ里歴史公園(吉野ケ里町、神埼市)と奈良県立万葉文化館(同県明日香村)で開かれた。両会場をインターネット中継でつなぎ、研究者ら8人がそれぞれ持論を展開。吉野ケ里町で約200人、明日香村で約350人の考古学ファンが耳を傾けた。  
   
   吉野ケ里歴史公園で開催中の企画展「よみがえる邪馬台国」の関連イベントで昨年に続き2回目。  
   
   奈良県の香芝市二上山博物館の石野博信名誉館長は、纒向(まきむく)遺跡(同県桜井市)に計画的に配置された大型の構造物や水路の遺構を根拠に「発達した文化の証しで、都市の造成が始まった」と畿内説を主張。遺跡から発掘した土器のうち、九州や関東などの土器が15〜30%混じっている点を踏まえ「他地域との交流が特に盛んだった」と述べ、畿内にあった邪馬台国が連合国家の中心だったと説明した。  
   
   吉野ケ里遺跡の発掘を主導した考古学者の高島忠平氏は、政治的影響力が強い大陸に近い北部九州に邪馬台国を中心にした勢力が存在したと主張。高島氏は「魏志倭人伝が記す卑弥呼の館の特徴は、吉野ケ里遺跡の遺構や遺物と符合する点が多い」と強調。同時代に中国の権力者が贈ったとされる鉄製の鏡が大分県日田市で見つかったことから、「中国の皇帝が卑弥呼に贈ったと考えるのが自然だ」と述べた。  
   
  =2016/10/10付 西日本新聞朝刊=  
  http://www.nishinippon.co.jp/nnp/saga/article/280919  
  ★1:2016/10/11(火) 21:07:14.00  
  http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1476359445/  
 
 

 
12 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 16:36:37.51 ID:5VtobzRd0.net 
  邪魔というぐらいだから朝鮮半島じゃねw  
 
13 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 16:37:36.65 ID:gV8svUtP0.net 
  邪馬は当時の中国語でシャーメイと読むらしい  
  >>12  
 
14 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 16:39:14.69 ID:CnzuzPH90.net 
  >>13  
  中央構造線仮説の所、シャーマンの転かもねって書いてたわ  
 
16 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 16:40:01.05 ID:H9BIARZX0.net 
  3世紀初の前方後円墳の分布  
   
  http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/k/kl117cr233/20131106/20131106211113.jpg

 
   
  邪馬台国畿内説の人はこの前方後円墳の領域が邪馬台国と考える常識人。  
  邪馬台国北九州説の人は、前方後円墳のない北九州の小さな領域が邪馬台国と考える変人。  
 
28 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:03:42.43 ID:BzAEx7Z70.net 
  >>16  
  福岡の初期の前方後円墳なら、福岡市に那珂八幡古墳が一応あるかな  
  竹下駅の近く  
  小さいけどね  
 
17 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 16:40:12.21 ID:IdHyb/0q0.net 
  九州説かー、もうファンタジーだよね  
 
18 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 16:42:36.42 ID:gnmp4cKV0.net 
  >>17  
  パズル、漢字の語呂合わせ、罵倒  
  年寄りのボケ防止には役立ってんじゃないかな  
 
24 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 16:55:59.89 ID:R0+eS0Cl0.net 
  結局何があれば、決定的勝利になるんだよ  
  完全に一方が押してても、決定打がないと論争は終わらない  
 
26 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 16:58:18.24 ID:zHElRIXV0.net 
  >>24  
  親魏倭王の金印かな  
 
40 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:17:16.39 ID:pKxDT51v0.net 
  >>26  
  和田家文書偽書事件の時のように  
  こんな金印があれば古代日本史の謎が解けるのにと古田氏か安本氏がつぶやけば  
  篤志家が条件に合うような親魏倭王の金印をプレゼントしてくれる希ガス  
 
25 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 16:57:19.54 ID:Jgmzblzk0.net 
  九州にあったとしてさ  
  なんで特に理由もなく一気に過疎ったんだ?  
  文化の中心がいつの間にか近畿に移った理由はなんなんだ?  
  しかも一度は中心地になった都市なら  
  そこそこの勢力を保ってても良いはずだが  
  ぶっちゃけ全然だよな  
 
44 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:20:21.80 ID:zBFsvMnF0.net 
  同時期にいくつかの地方で王国の連合体があったとしても不思議じゃない  
  その中の北部九州にある連合体が勝手に倭を代表して朝貢した  
  畿内に邪馬台国があったとするより、よっぽど自然じゃないか?  
 
100 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:08:58.45 ID:y2xzeqvh0.net 
  >>44  
  九州説をとったとしても北部九州に邪馬台国があるとするとあまりに魏志倭人伝の記述から離れすぎる。  
  九州なら南部九州の方が自然だね。俺は近畿説の方がより自然だと思うけど。  
 
103 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:12:12.39 ID:yOU7ckBX0.net 
  >>100  
  それは、あんちゃんの知識が五十年前かつ魏志一辺倒やからやな  
  話にならんで  
 
106 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 18:14:38.10 ID:z3gkA2FL0.net 
  >>103  
  最新の知識と何の資料で今はどこが主流なんや?  
 
117 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:21:26.36 ID:yOU7ckBX0.net 
  >>106  
  一千年前にはあった資料読んでみて  
  北史百済伝とか  
 
123 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 18:27:54.77 ID:z3gkA2FL0.net 
  >>117  
  それが時代が同じ頃に書かれた倭人伝より  
  なにが正しいの?  
 
137 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:44:14.86 ID:/Fdyxd2j0.net 
  >>123  
  同程度に信用して、記述をつき比べれば、結論出るわ  
 
141 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 18:48:19.67 ID:z3gkA2FL0.net 
  >>137  
  無理 出ないよ  
  同じこと書いてあんだからw 読むなら北史倭人伝だろな  
  南史倭人伝には北史のほうが詳しいと書いてあるくらいだから  
 
144 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:52:57.26 ID:/Fdyxd2j0.net 
  >>141  
  ほらほら、海行の日程から妥当に推測される舟の性能はどうしたん?  
  実際読んでれば、  
  素直に読み解けば陸行一月水行10日で太平洋の上や!  
  なんて間抜けな間違いには至らへんわw  
 
119 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:25:04.45 ID:yOU7ckBX0.net 
  >>106  
  少なくとも旅程の  
  「水行10日」で台湾やら沖縄まで行ってまうやんか!  
  は論外や。鼻で笑われてしまいやで  
 
121 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 18:26:32.06 ID:gnmp4cKV0.net 
  >>119  
  どんな船を使ってたかも分からんのに?  
  行ける行けない言ってる方が論外では?  
 
47 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:21:25.06 ID:KzoaWfKs0.net 
  ああそういえば思い出した  
  余の傍らの国にエバキ国があるって岡山のばあちゃんがいっとったわ  
  あれ茨木だったのかあ  
 
63 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:37:17.85 ID:pKxDT51v0.net 
  >>47  
  >エバキ国があるって岡山のばあちゃんがいっとったわ  
  「茨」をイバラとかエバラと読む前は「ウバラ」と読んでいたという説が有力。  
 
66 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 17:39:02.77 ID:gnmp4cKV0.net 
  >>63  
  アバラやオバラはないのか?  
 
58 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:31:18.99 ID:KzoaWfKs0.net 
  一方は予定通り出雲やっつける派→播磨吉備からあくまで北上  
  一方は紀伊半島でリベンジしたい派→淡路島経由で和歌山から紀伊半島侵入  
 
59 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:31:50.11 ID:KV0ArgaZ0.net 
  土器も古墳も土をこねくりまわしてるだけだ。  
   
  火山と鉄器製作技術  
  これこそが近畿に邪馬台国が無かった理由であり、  
  邪馬台国が九州にありそこそこ繁栄できた理由でもある。  
 
73 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 17:44:44.50 ID:55NlefulO.net 
  >>59  
  バカな奴だな、銅鐸作るのは大変な技術なんだぞ。  
  薄い部分なんて結構な技術力だから。  
   
  更にいうと近江の伊勢遺跡では既に二世紀で煉瓦焼きまでしてるというw  
  これは通説より五百年以上早いんだからな。  
 
83 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:50:06.95 ID:DUTh02PD0.net 
  無理なんてないだろ  
  畿内説は日本の歴史が古いように見せたいがために作られた虚構だよ  
 
88 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 17:53:18.00 ID:UP0hS89d0.net 
  >>83  
  邪馬壱国をヤマトという呼び方に近づけたいがために邪馬台国とか無理やりねじ曲げるのがジャップの学者だよ  
  コリエイトw  
 
91 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:56:59.69 ID:hUFOhTrL0.net 
  >吉野ケ里遺跡の発掘を主導した考古学者の高島忠平氏 吉野ケ里遺跡の発掘を主導した考古学者の高島忠平氏  
   
  九州厨は吉野ヶ里利権に過ぎんわな  
  どんだけ観光協会から賄賂貰ってんのかねえ  
 
96 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:01:30.73 ID:yOU7ckBX0.net 
  >>91  
  吉野ヶ里説真に受けてるもんが居るとか、あんちゃんあほやなw  
 
93 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 17:59:31.21 ID:5TznH7bX0.net 
  謎なのは 邪馬台国の存在だ  
  どこにあったのかもはっきりしていないのに  
  どうして邪馬台国が確かに存在したと言えるのか  
  誰か どうか教えてください  
 
94 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 18:00:56.15 ID:z3gkA2FL0.net 
  >>93  
  魏志倭人伝にそう書いてあるんだからしょうがない@丹波  
 
112 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:19:12.97 ID:06TI8md90.net 
  水行が川を意味しているという意見が正しいような気がする  
 
114 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 18:20:36.35 ID:gnmp4cKV0.net 
  >>112  
  川を遡上するのは大変じゃね?  
 
154 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:02:20.83 ID:YkyOYXia0.net 
  >>114  
  川は岸から綱で引っ張って進む。  
  エッホエッホ漕ぎ続けるしかない渡海より、だんぜん楽なのだ。  
 
156 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:05:33.80 ID:gnmp4cKV0.net 
  >>154  
  船の安定性悪くね?  
  そして岸から綱なんだろうから  
  岸を歩いた方が早くね  
 
163 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:09:42.64 ID:KYFVTZel0.net 
  >>156  
  平塚川添の横を流れる佐田川は川幅が数mしかない狭い川なので  
  両岸からロープで引いた方が便利が良い、そして大河の筑後川では  
  普通に棹で船を操った訳だ。  
 
167 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:12:00.82 ID:gnmp4cKV0.net 
  >>163  
  だから歩いた方が早いって  
  岸が整備されてんだろ  
  引けんだから  
 
170 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:13:46.48 ID:fmIm8ihb0.net 
  >>167  
  時代が新しい、要するに年代が正しくない。年代をゴッドハンドで下げた意味がないじゃ〜んw  
 
175 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:16:03.75 ID:YkyOYXia0.net 
  >>167  
  銅鏡百枚とか重いじゃん。  
  そりゃ10枚ごととかにばらせば徒歩で運べるだろうが、  
  船に積んで引っ張れるならその方がいい。  
   
  あと、偉い人が乗ってる場合は、ギリギリまで船で遡りそう。  
 
183 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:19:24.80 ID:P8RWj80c0.net 
  >>175  
  帯方郡使は船酔いするからダメだなー。末盧国から伊都国まで歩く羽目になっちまったなー。  
 
189 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:23:46.48 ID:YkyOYXia0.net 
  >>183  
  あっちは海だからなあ。  
  壱岐から末盧まで、対馬海流に流されながら漕ぎに漕いで  
  ようやくたどり着いた末盧国。ここでまた「伊都国まで航海するぞー」  
  とか言ったら、漕ぎ手が反乱をおこすわ。  
   
  海の上では海流に流されるから常に漕ぎ続ける必要があり、  
  必要最小限にとどめるのがセオリーなのだった。  
 
198 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:27:40.29 ID:xuH0ogaM0.net 
  >>189  
  支那の船はジャンク船だと思うよ。帆船ね  
 
207 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:33:37.05 ID:YkyOYXia0.net 
  >>198  
  少なくとも日本側の資料(古墳の壁画や埴輪など)からは  
  帆船の存在を裏付けるものは出てない気がするけど、  
  帯方郡では使われていた史料があるのん?  
 
231 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:45:01.55 ID:NgVmE0HW0.net 
  >>207  
  横から済まん  
   
  これは帆船の可能性がある  
  http://www.emuseum.jp/img/content/100579001019/19/d1/1_1.jpeg  
 
244 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:52:27.88 ID:YkyOYXia0.net 
  >>231  
  ほほう。  
  って、画像だけ見せられてもわからんわw  
  しかも帆柱立てる穴も見えないアングルだし。  
 
263 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:03:24.97 ID:NgVmE0HW0.net 
  >>244  
  ほい  
  http://img001.superweb.de/sites/G/Greenpeaceforever/img/b2-l_p_294554_5_photomontage_ros171_maartje_theadora_web_04.jpg

 
 
267 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:05:44.33 ID:YkyOYXia0.net 
  >>263  
  ちょっと待てw  
  ということは>>231も凧で推進してたのか?  
 
269 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:07:42.91 ID:NgVmE0HW0.net 
  >>267  
  あくまでも可能性だがね  
 
275 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:09:06.58 ID:YkyOYXia0.net 
  >>269  
  やばい、邪馬台国より凧の歴史の方が気になってきたw  
 
249 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:54:58.90 ID:JJtlTJSn0.net 
  >>207  
  昔、漕ぎ舟で渡航できるだろうと高を括って実験航海して無理でしたって結果がでたな。  
  野生号って言ったかな。  
  因みに沖縄のサバニも基本は帆船だよ。  
  そう言えば海部さんも草舟で台湾から先島への渡航実験して失敗したな。  
  古代人の技術を舐めすぎているわ。  
 
128 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:39:16.97 ID:pKxDT51v0.net 
  漢委奴国王印は偽造っぽい。  
   
  銀印などが他の遺跡から出てきてもおかしくないのに全く出てこない。  
  金印なんて紙などの上に押韻するものだから  
  紙あるいは木簡竹簡のようなものに押した印影が出土しないと可笑しい。  
 
130 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 18:39:59.93 ID:+ioiXmT30.net 
  御笠川周辺は史跡の宝庫、最も栄えた古代集落の一つだろう  
  すでに壊されてしまったらしいが博多にも古墳があった  
   
  また長野の恵那山だが、長野は志賀島の安曇一族が移住していった土地  
  高天原の砂として神事に使う砂はいまも志賀島から運んでいる、そして志賀島で神事に使う歌が君が代  
  アマテラス伝承もこうした人の移動と共に移植されたものだろ  
 
151 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 18:59:17.94 ID:+gCNc14O0.net 
  ヒストリアで数年前に九州の北の方で、すごく大きな鏡が見つかってるというのが  
  あったな  
 
153 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:02:01.56 ID:z3gkA2FL0.net 
  >>151  
  卑弥呼が貰ったとされた銅鏡は100枚だったのに  
  なぜか600枚近く発見されてるし、卑弥呼の時代の刻印が  
  入った銅鏡は4枚しか発見されていない  
   
  しかもしれは畿内ではなかったはず(ちと記憶曖昧)  
 
155 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:04:33.39 ID:KV0ArgaZ0.net 
  >>153  
  自分達で作ったんだよ  
  それしかない  
 
159 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:08:30.97 ID:z3gkA2FL0.net 
  >>155  
  おそらくそうだろね、だからあの三角神獣は卑弥呼とは無関係だと思う  
  それよりも出雲の荒神だったかで発見された銅剣のほうが驚異  
  一度に350本とかどんだけの勢力だよと  
 
158 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:08:00.64 ID:G3XafK7R0.net 
  >>153  
  年号の入った鏡は畿内が多い(九州からは出ていない)  
   
  青龍三年  
  (235年)  
  顔氏作鏡  
  方格規矩四神鏡 大阪府高槻市安満御所の町 安満宮山古墳  
   
  1 ○ 17.4 青龍三年 顔氏作鏡成文章 左龍右乕辟不詳 朱爵玄武順陰陽 八子九孫治中央 壽如金石?侯王 (右回り)  
  同笵鏡  
  京都府竹野郡弥栄町 大田南5号墳  
   
  1 ○ 17.4  
  景初三年  
  (239年)  
  陳是作鏡  
  三角縁同向式神獣鏡  
  島根県大原郡加茂町 神原神社古墳  
  1 ● 23.0 景初三年 陳是作鏡 自有經述 本是京[?市] 杜地□(命)出 吏人□□(銘之) 位至三公 母人銘之 保子?孫 壽如金石兮 (左回り)  
   
   
  景初三年  
  (239年)  
  陳是作銘  
  半円方形帯神獣鏡(画文帯同向式神獣鏡)  
   
  大阪府和泉市上代町 黄金塚  
  1 ○ 22.7 景□(初)三年 陳是作銘 銘之 保子?孫 (左回り)  
   
  景初四年・・・  
  (240年)  
  陳是作鏡  
  斜縁盤龍鏡  
  京都府福知山市東羽合 広峯15号墳  
   
  1 ○ 17.7 景初四年五月丙午之日 陳是作鏡 吏人銘之 位至三公 母人銘之 保子?孫 壽如金石兮 (左回り)  
  同笵鏡  
   
  兵庫県西宮市松下町 辰馬考古資料館収蔵  
   
  1 ○ 17.7  
  正始元年  
  (240年)  
  陳是作鏡  
  三角縁同向式神獣鏡  
  群馬県高崎市柴崎町蟹沢 柴崎古墳(蟹沢古墳)  
  1 ● 22.73 正始元年 陳是作鏡 自有經述 本自[くさかんむりに州][?市](京師) 杜地命出 壽如金石 保子?孫 (右回り)  
  同笵鏡  
   
  兵庫県豊岡市森尾 森尾古墳  
  1 ● 22.73  
  山口県新南陽市富田 竹島御家老屋敷古墳(竹島古墳)  
 
193 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:25:17.34 ID:z3gkA2FL0.net 
  >>158  
  ほうほう なかなか勉強になる  
  しかし卑弥呼が使節を送ったのは239年で帰って来たのが240年日本では  
  正始元年それ以前の年号が入った銅鏡が日本にはあるが  
  作ったはずの中国には一枚も存在しないのはなぜなんだろな  
 
208 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:33:39.52 ID:JJtlTJSn0.net 
  >>158  
  それは解決済み、国産鏡だよ。  
 
216 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:37:30.09 ID:h7+7Q9Xd0.net 
  >>208  
   
  なぜ、古代の人が卑弥呼が魏に使いを送った年をドンピシャで知っていたんでしょう?  
  魏の年号をただのおしゃれな装飾物として彫るのなら卑弥呼が魏に使いを送った年でなくても  
  いいよね?しかも、当時、中国には魏呉蜀と三国もあり、しかも後の時代のものだったら  
  魏の年号でなくてもいいよね。  
 
278 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:12:49.12 ID:ZwSFWvj3O.net 
  >>216  
  >なぜ、古代の人が卑弥呼が魏に使いを送った年をドンピシャで知っていたんでしょう  
   
  鏡を作った動機は知らんが卑弥呼と邪馬台国のことは中国側の文献に載ってるんだから、大陸と付き合いのあった国なら知ってても別に不思議ではないぞ。  
  少し時代は下るが、日本書紀も魏志倭人伝を見て書かれてるくらいだし。  
 
289 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:20:24.69 ID:MoI4RB7n0.net 
  >278  
  >鏡を作った動機は知らんが  
   
  シャーマンの妖術の為に、魔鏡が必要だったのだ。3D プリンターの技術で当時のレプリカを作ると、実像で出てくるので、  
  怖くなって、シャーマンの言うことを聞いたのだろう。言ってみれば、IT 技術で翻訳とか、 Big Data を使って、アルファ  
  Go を使って碁で勝つようなもの。  
   
  http://www.bell.jp/pancho/k_diary-9/2014_02_07.htm  
 
219 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:39:28.03 ID:G3XafK7R0.net 
  >>208  
  別に国産でも問題は無いだろ  
  問題なのは入ってる年代が邪馬台国が魏に使節を送った時期と丁度被るという事  
  偶々にしては出来すぎてる  
  丁度この時期に魏と何らかの接触なりが有ったことを示唆しているように見えるな  
 
229 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:44:28.63 ID:KV0ArgaZ0.net 
  >>219  
  日本のどこで作ったか明らかになってるか?  
 
237 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:48:48.82 ID:YkyOYXia0.net 
  >>229  
  奈良の田原本町に鏡作神社ってのがあるよね。鏡作部の遠祖を祀ってる。  
  たぶん初めて国産鏡ができたときに、嬉しくて神社を作っちゃったんじゃなかろうか。  
 
215 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:37:24.83 ID:VQNU04WR0.net 
  >>158  
  兵庫県豊岡市は但馬国だったし  
  京都府福知山市も丹波国・丹後国だったと聞くが  
  但馬・丹波・丹後が畿内なのか?  
 
226 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:43:35.25 ID:G3XafK7R0.net 
  >>215  
  部下に鏡を下賜した可能性も有るだろうな  
  丁度戦国時代に部下に色々ものを下げ渡したように  
  他の三角縁神獣鏡も似たようなもんだろう  
 
251 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:55:21.95 ID:VQNU04WR0.net 
  >>226  
  その可能性も否定はできないが  
  >>158の鏡の分布を見る限りでは沿岸部に多く鏡が出ているようだ  
  もし部下に配ったならば沿岸部に集中する理由はないように思われる  
   
  それぞれの場所に独立国があり、海の側のなので、それぞれが魏に朝貢しやすかったので鏡をもらった…とする方が妥当ではないか  
 
161 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:09:05.26 ID:pKxDT51v0.net 
  延喜式に遅れること20年ぐらいの倭名称に  
  土佐の国の國府長岡から京都までの行程 上り30日=1ト月  
    下り18日と書いてある。  
  伊豫の国の國府越智から京都まで上り16日、下り8日だ。  
   
  どちらも瀬戸内海を船で渡ったはずだ。  
  上りと下りで倍ほどにっすに差があるのは上り下り違う経路なのか  
  上りに潮待ちが含まれるのか  
   
  いずれにしても日数で表わされてるのが卑弥呼の時代からの倭国の仕来りか。  
 
164 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:10:37.73 ID:G3XafK7R0.net 
  >>161  
  海流じゃない?瀬戸内海はかなり潮流が激しいらしいし  
 
165 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:10:39.75 ID:fmIm8ihb0.net 
  畿内の鏡w 国産ってバレてなかった?!w  
  あれさ、テレビでも大袈裟にしてたけど、失笑もんだよw  
 
166 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:11:57.50 ID:lqTbGKxq0.net 
  >>165  
  国産なら国産で凄くね?  
 
176 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:16:14.23 ID:h7+7Q9Xd0.net 
  >>165  
   
  もし国産なら、畿内に魏の国の存在を知っていて漢字を書ける人がいたことになりますね。  
 
181 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:18:49.95 ID:YkyOYXia0.net 
  >>176  
  もらった鏡の型をとって鋳造したバチもん、  
  てな話じゃなかったけか?  
 
187 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:21:36.17 ID:h7+7Q9Xd0.net 
  >>181  
   
  もらった原型の鏡は存在するわけですね?しかし九州説の人はその鏡自体が中国には  
  存在しないと言ってますが?  
 
191 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:24:51.10 ID:YkyOYXia0.net 
  >>187  
  あ、すまん。  
  うむ、無かった。  
 
196 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:26:35.33 ID:h7+7Q9Xd0.net 
  >>191  
   
  では、畿内から出てくる鏡は、畿内人が魏に憧れて漢字を勉強して独自に作ったんですか?  
 
199 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:28:35.42 ID:YkyOYXia0.net 
  >>196  
  お、おう。  
  「九州はいっぱい鏡もらえて羨ましいなあ」というコンプレックスが  
  国産鏡の鋳造へと昇華されたんだな。  
  思春期はこうあるべきだと思う。  
 
203 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:30:53.55 ID:h7+7Q9Xd0.net 
  >>199  
   
  では、畿内人は憧れの存在としての魏の存在は知っていたわけですね?  
 
200 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:28:55.90 ID:U+mfpv0b0.net 
  >>196  
   
  実際に韻を踏んでいないとか  
  文章がおかしいものがある  
  というのは昔から言われていますね  
 
211 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:36:17.09 ID:v1e2ef9/0.net 
  >>200  
  だからといって、文字を知らない3世紀当時の倭人に  
  あんな精巧な鏡が作れる可能性も低いわけでして  
 
221 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:41:19.92 ID:U+mfpv0b0.net 
  >>211  
   
  鋳造技術は銅鐸があったので  
  大丈夫でしょう。  
 
232 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:45:15.42 ID:v1e2ef9/0.net 
  >>221  
  それまでにある鏡の型をとって鋳造すること自体は可能だろうけど、  
  石型を作る技術が問題だよ  
 
234 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:47:01.12 ID:U+mfpv0b0.net 
  >>232  
   
  石型は九州が多いですね。  
  畿内は砂型、粘土型と思われます。  
  畿内はあまり型が残っていません。  
 
217 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:37:45.20 ID:KYFVTZel0.net 
  倭人は長命で八十、九十歳の者もいると倭人伝に記載があるから  
  年に二回年を取っているんだろう、ひょっとしたら年に三回年を取って  
  いるのかも知れん。  
 
233 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 19:46:33.38 ID:xuH0ogaM0.net 
  元号入りの鏡で一番気になるのは呉の年号が入ったやつだな  
 
367 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 21:46:08.00 ID:rsZs+RHa0.net 
  >>233  
  当時銅鏡を作ってた倭人が漢字や年号を理解できただろうか?  
  ただの装飾だと思ってたのでは無いか?  
 
372 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 21:52:06.85 ID:QqHRoWf40.net 
  >>367  
  鉱床から金属を精錬して最終製品にまで仕上げるハイテク技術者が  
  文字も年号も読めなかったと思うか?  
 
374 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:54:07.17 ID:cO53w6c30.net 
  >>372  
  はぁ?!日本人とは思えない意見だねw  
 
246 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 19:52:58.86 ID:VPLf0ywY0.net 
  近畿以外ありえない、昔から日本の中心  
  九州なんて今でも土人が住む田舎のままだ  
 
260 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:01:56.31 ID:JJtlTJSn0.net 
  >>246  
  昔からって、旧石器、縄文・弥生及び鎌倉以後の4万年以上日本の中心は東日本だよ。  
  西日本が中心になったのは神武東征以後の高々数百年に過ぎないんだが・・・  
 
265 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:04:51.01 ID:55NlefulO.net 
  九州は太古から男尊女卑の土地柄、  
  対して奈良三輪山の周囲は巫女の聖域なんだからな。  
  最初から九州説なんて話にもならんわ。  
 
273 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:08:26.40 ID:xuH0ogaM0.net 
  >>265  
  記紀に九州には女首長が多いって書かれてんな  
 
279 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:12:49.95 ID:KV0ArgaZ0.net 
  >>265  
  それぐらいで邪馬台国にするから邪馬台国が増えるんだろう  
 
286 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:16:47.30 ID:55NlefulO.net 
  >>279  
  倭人伝に卑弥呼の宮に女官が千人いるとある以上は仕方ないな。  
  そんな場所は巫女が集まる場所しかない訳だ。  
 
297 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:28:03.31 ID:KV0ArgaZ0.net 
  >>286  
  以婢千人自侍  
   
  婢≠女官≠巫女  
  身のまわりの世話をする侍女だろ。  
 
271 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:08:15.21 ID:BBq9FeG50.net 
  魏志には不弥国までは、詳細に書かれている。  
  不弥国が本州と九州を結ぶ玄関港だったんだろう。  
  宇佐やろね。  
  宇佐からなら、瀬戸内海航路か太平洋黒潮航路。どちらか。  
  道中の国が書かれてないから、黒潮航路やろね。投馬は薩摩か。そこから黒潮に乗り、10日で紀伊半島へ。陸行1ヶ月でヤマト到着  
 
378 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:57:41.79 ID:MoI4RB7n0.net 
  >271  
  >道中の国が書かれてないから、黒潮航路やろね。投馬は薩摩か。そこから黒潮に乗り、10日で紀伊半島へ。  
   
   
  >陸行1ヶ月でヤマト到着  
   
  経路の発想は豊だ。神武東遷の時の豊予海峡を降って、親潮に乗って、紀伊半島に至るという発想は素晴らしいが、関鯖  
  と指定銘柄にされる程の魚肉のたくましさを要求する程の潮流は急流であり、神武東遷時の椎根津彦並の水先案内人がいな  
  いと通過出来そうもない難所だと思いますけど、どうでしょうか。神武東遷の経路とおりに、瀬戸内海を通るのではないで  
  しょうか。  
   
  「水行十日陸行一月とは、全行程を言う」という珍説みたいですけど、そういうのがありますね。  
  水行が一日四〇ー五二キロで、400乃至520キロ、陸行一月では一日二十四キロで、七百二十キロ。  
  不弥国から、南か、東か知らないけど、五百二十キロ先が、邪馬台国という説がある。  
   
  http://blog.goo.ne.jp/dogs_ear/e/6dc070f86a84b1fe0886dd63d08ed7d4  
 
387 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 22:06:22.06 ID:QqHRoWf40.net 
  >>378  
  なぜ距離ではなく日数で表すかというと  
  たとえば山道(獣道)などだ  
   
  一日で1〜2kmしか進めないこともある、だから日数で表すのだ  
  これに対して海路(手漕ぎ船)は距離と時間が比例するから距離なのだ  
  旅路において重視する単位を用いるのは当然  
 
282 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:14:16.86 ID:9wLS7jlJ0.net 
  やっぱ百襲姫が卑弥呼って説が収まりが良くて好きだな  
  一連の流れでドラマに出来そうな感じ。  
 
290 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:21:31.75 ID:55NlefulO.net 
  >>282  
  モモソヒメは話の引き出し多いからな、弟は桃太郎のモデルだし。  
  村上水軍の祖とされる話もある。  
  大物主の嫁でもあり、何より卑弥呼の有力候補だw  
 
291 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:22:54.61 ID:xuH0ogaM0.net 
  >>290  
  神婚は未婚扱いだからありだな  
 
293 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:24:49.92 ID:rKOCh5nQ0.net 
  これはもう、、、遠い将来タイムマシンを作って  
  見てくるしかないなw  
 
300 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:31:03.49 ID:YkyOYXia0.net 
  >>293  
  確信を持って言うが、もし俺がタイムマシンを手に入れたら、  
  八女に金印を埋めてくる。たぶん纏向遺跡もそうやって造られた  
  んだと思う。  (←かなり重症)  
 
307 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:39:37.15 ID:P8RWj80c0.net 
  >>300  
  おいおい、失礼な事言うなよー。馬の鐙が出てきたらどうすんだよー。(冷や汗)  
 
308 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:42:14.88 ID:fAxjlQT80.net 
  とりあえず、円は天を表し方形は大地を表すと考えた道教信仰があの形の古墳を作り上げたわけで。  
  三角縁神獣鏡の不思議な形(凸面鏡)も  
  道教の八卦鏡(吉をまねく)そっくりで  
  。誰か知らんが巻向遺跡の人は道教くさい人々だよ。  
  しかし道教には太陽信仰がない。  
  どっから出てきたのかな?  
 
319 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:53:14.28 ID:55NlefulO.net 
  >>308  
  道教といっても三世紀ではまだ初期段階だからな。  
  これという形が決まってるもんでもない。  
  大体太陽だって赤で表現される事も多いしな。  
  火や丹が信仰されるのも結局は活力、エネルギーに対する信仰だろう。  
 
311 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:43:22.42 ID:fmIm8ihb0.net 
  壹与と書いた方が自然?w 火を操る卑弥呼婆さん、水を操る壹与。いいねーw  
 
314 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:46:25.63 ID:pKxDT51v0.net 
  >>311  
  >壹与と書いた方が  
  そうすると九州説の「豊の国」が成り立たなくなるんだが  
 
312 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:43:26.09 ID:/4yOdrEp0.net 
  歴史に興味がある人が増えるのは楽しいけど  
   
  スレから目を離すと  
  読むのが段々メンドクサクなってきた  
  話がアッチコッチに飛びまくってるし(´・ω・`)  
 
320 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:54:29.45 ID:OkrKkbjV0.net 
  >>312  
  マジか、阿波さんもちゃんと今まで、俺のカキコ読んでたのね。胸熱。  
 
335 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 21:07:20.73 ID:/4yOdrEp0.net 
  >>320  
  ばあさんや、じっちゃんが  
  言うとった話も見てますよw(´・ω・`)  
 
344 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:18:34.66 ID:DyPQS82g0.net 
  >>335  
  こりゃ失敬。吉備のばあさんはもう死んでしもうたんや。(遠い目)  
 
317 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:50:52.09 ID:pKxDT51v0.net 
  不弥国も手品使わないと宇美町にはならないぞwwwwwww  
 
321 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 20:54:31.85 ID:YkyOYXia0.net 
  >>317  
  ここだけの話、フランス語では語頭のHは発音しないのだ。  
  しないのだ  
  たぶんしないと思う  
  しないんじゃないかな  
  まちょと覚悟はしておけ  
 
326 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 21:00:27.65 ID:/4yOdrEp0.net 
  >>321  
  フランスでは最初のHは声を出さない  
  って、レスしないと妄想が広がらないでしょ(´・ω・`)  
 
332 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:06:03.73 ID:pKxDT51v0.net 
  >>321  
  ここだけじゃない話、卑弥呼の時代の日本語にはHの発音が無かった。  
  ハ行の子音がHになったのは江戸時代。  
  安土桃山時代〜徳川家光が切支丹禁止するまでの間にポルトガルの宣教師が  
  出版した平家物語がFEIQE MONOGATARIと書いてある件について  
  http://fast-uploader.com/file/7031579946618/  
  御異議ありませんか? 御異議なしと認めます。  
 
339 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 21:12:38.05 ID:YkyOYXia0.net 
  >>332  
  ううむ。  
  それなら不弥国は「ふみこく」のままな気がする。  
 
350 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:34:07.66 ID:pKxDT51v0.net 
  >>339  
  もっとウンチクを傾けると  
  万葉集の歌を作った一人に「大伴の夫人」というのがいるんだが  
  当時の発音を尊重して「おほとものぶにん」と読むのが  
  卑弥呼以来大和の国の仕来りだ。  
  「一夫一婦制」という時「いっふいっふせい」とは言わないだろう。  
  二つの漢字がつながったときの読み方が大昔の読み方を保存している。  
   
  とぼとぼ歩くというのは「徒歩徒歩歩く」という音読みと訓読みが合体したもの。  
  旗がパタパタとはためく。 肥後の国は火の国と言われるけど  
  「肥」は中国語としては一番歴史が浅いフビライなど蒙古が征服した時代までしか  
  遡れない北京語でfei、客家方言ではpui。  
  http://fast-uploader.com/file/7032003832369/  
  広東方言は唐末五代〜宋の発音を伝えているけど客家(ハッカHakka)方言よりは新しい。  
 
362 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 21:42:47.03 ID:YkyOYXia0.net 
  >>350  
  「人」の読みの「にん」「じん」とかは呉音と漢音だよね。  
  その方向で行く限り、「不」は「ふ」だと思う。  
   
  不弥→宇美は、あくまで日本語の中で子音が欠落した  
  という話じゃないかと。  
 
375 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:54:24.56 ID:pKxDT51v0.net 
  >>362  
  「年月日」をネンガッ「ピ」と発音するのはどう説明するんだよ。  
  あと播磨の国風土記のヤマトタケルの件りで播磨の「日岡」の命名物語で  
  鹿を見つけて、鹿野鳴き声「比=ピpi」に因んで「ひおか=pioka」呼んだという話と  
  どういう風に整合させるんだ。  
   
  一度日(ピ=pi)が暮れてから春日大社とか奈良公園で鹿野鳴き声聞いた方がいいぞ。  
  鹿の鳴き声はオ毎がホテルに連れて行く女の喘ぎ声のヒーじゃないからwwww  
 
382 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 22:00:49.52 ID:YkyOYXia0.net 
  >>374  
  当時の倭は青銅も鉄も、出来合いの製品(延べ棒など)を  
  二次加工していただけだと思う。鉄でいうと「鍛冶屋さん」だね。  
   
  もちろんハイテクであることには変わりない。  
   
  >>375  
  とりあえず落ち着け。  
  そっちの問題意識が別のところにあるのはわかるが、  
  俺が問うてるのは一貫して不弥国の「不」の発音だってば。  
 
391 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 22:13:42.28 ID:pKxDT51v0.net 
  >>382  
  >俺が問うてるのは一貫して不弥国の「不」の発音  
   
  「不」の発音は中国で一貫してb、p系統(but、bu、pu)の発音  
  日本語でbがfu系統に変わるのは平安時代な入ってから。  
   
  遣唐使が桓武天皇の時代に直訴してもう呉音では通じない。日本で漢音を広めないと  
  ってチクって桓武天皇が今後漢文を学ぶ者たちは呉音をやめて漢音を学べと詔勅を渙発した。  
  それでも仏教関係は一般民衆に呉音が普及していたので呉音を使わざるを得なかった。  
 
405 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 22:29:50.36 ID:YkyOYXia0.net 
  >>391  
  当時の大陸の言語でどう発音されていたのか、というのは  
  もちろん重要だけど、その後に子音が欠落したのは  
  日本語側の事情なわけで、呉音も漢音も関係ない。  
   
  陽に文献に出てくるのは神功皇后が応神帝を「産み」まします処だが、  
  それに先立つ子音の欠落はどこで生じたのか…。  
 
408 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 22:34:49.78 ID:pKxDT51v0.net 
  >>405  
  九州説派のコジツケ  
  コジツケでないという証明の下駄は九州説派に預けた  
 
410 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 22:38:01.93 ID:YkyOYXia0.net 
  >>408  
  これはさすがに酷いな。  
   
  こっちは当初からスコープが違うと言ってるのに構わず突っ込んで、  
  最後は捨てセリフで去っていく。  
 
325 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 20:59:31.28 ID:4aEHwzO50.net 
  魏志東夷伝倭人にある卑弥呼の墓は小さい円い塚  
  巨大な前方後円墳の箸墓古墳は大和朝廷の別人の墓だろう  
  南の狗ナ国と戦争状態であるため、実際には卑弥呼の墓は作られなかった可能性もある  
 
345 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:18:45.16 ID:JJtlTJSn0.net 
  >>325  
  小さくは無いぞ、(直)径百余歩だ。  
  普通の発想なら1歩を60cmとして直径60m、北魏の単位歩は140cmで140m以上だ。  
  倭人伝の里程は魏の単位では無い事は明らかなので、60mだろうな。  
 
347 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:28:07.35 ID:uzeLNBFaO.net 
  纏向遺跡を始め、畿内の数多くの遺跡をじかに発掘調査した畿内考古学の権威が、  
  畿内は邪馬台国ではないと言っているのだから畿内はもうムリ  
  諦めるしかない  
 
360 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 21:41:03.43 ID:v1e2ef9/0.net 
  >>347  
  権威×  
  畿内の多くの遺跡×  
  畿内は×  
  ほんと、すぐに話を膨らますなw  
  弥生時代のしょぼさからすれば大和でない可能性が高いと言ってるだけ  
  この話の背景にあるのは吉備の東遷なんだよ  
 
348 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:29:37.43 ID:lhDo0iR/0.net 
  都庁もポテチBBぁが登場して  
  闇に少しずつ光が。  
  邪馬台国もそろそろ  
  既存の似非歴史に終止符を。  
  そういう時代なんだよ。  
  畿内vs九州っていうより  
  既得権益vs真の古代歴史暴き隊  
  で  
  末羅=万津浦、玄界灘北部だろ。  
  「志賀島からでたことにしとけ」の倭奴(イヌ)国の金印。  
   
  ヒッグス粒子さえも発見されるこのご時世に  
  考古学は何やってんだか。  
  せめて、邪馬台国、リーマン予想には負けんな。  
 
352 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 21:36:27.68 ID:rsZs+RHa0.net 
  未だに邪馬台国と表記して居る時点で無意味。  
  邪馬壹國が正しい表記。  
 
354 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:37:27.40 ID:9FdZ0EOZ0.net 
  >>352  
  それいったら戦前の人物全部旧字体じゃん  
  ?川家康とか  
 
361 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:41:34.13 ID:pKxDT51v0.net 
  >>352  
  >邪馬壹國が正しい表記  
   
  それなら新井白石という在日っぽい爺さんの説は全面削除でOKだなwwwww  
  ヤマタイコクは無かったwwwwww  
 
381 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 22:00:36.03 ID:rsZs+RHa0.net 
  >>361  
  それでいい、文献により邪馬惟だったり邪馬堆だったり表記が安定してない。  
  その辺りの検討が不十分なうちにこれはヤマトに違いないから邪馬台だとしたのが誤りの始まり。  
  日本の歴史学考古学における一番重大な過ちがこれなんだ。  
 
379 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 21:59:26.66 ID:cO53w6c30.net 
  奈良と佐賀って同じぐらい田舎じゃんw  
 
392 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 22:14:52.52 ID:e2YCSgEN0.net 
  末羅はマツラまたはマチラ。文字ひとつに音ひとつではないので、帯方郡の役人には知られている地名だということ。  
  東南五百里に伊都国がある場所。  
  どーにもいいかんじの場所がみつからない。  
  当時とは地形もかわっているだろうし、海底の地形もほしいなぁ。  
 
403 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 22:25:02.34 ID:pKxDT51v0.net 
  >>392  
  >文字ひとつに音ひとつではないので  
  日本の地名を漢字二文字で表わせと命令したのは奈良の大和朝廷  
  平安時代の和名抄の全国地名を見れば仮名にすれば3文字以上の地名が  
  無理やり2文字に収められてるのが一目瞭然。  
 
415 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 22:47:52.84 ID:DyPQS82g0.net 
  >>403  
  そやね。7世紀後半にすでに三野が美濃、尾治が尾張、木が紀伊、上毛野が上野、珠流河が駿河、遠淡海が遠江、粟が阿波などと好字をもって二字の国名に統一されとるなー。こりゃ大和もこのあたりでつけられたんだろうなー。  
 
453 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:23:47.37 ID:pKxDT51v0.net 
  >>415  
  伊豫の松山に「温泉」という郷があるけど和名抄では単に「湯」とかいてる。  
  いかにも無理やり漢字2字を使えと強権的に命令し、またそれにこたえられるだけの  
  漢文とヤマト言葉の漢字を読み書きをする文明力があったということだな。  
   
  備中の国の「都宇」を倭名称で読み方を「津」と書いてるのには無理やり漢字2文字で書けという命令が徹底していた。  
 
502 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:51:31.95 ID:MoI4RB7n0.net 
  >453  
  >サンクス。あまり詳しくないので参考にしる。大宝律令が施行されたあたりから国家ができてきたんだろうなー。  
   
  白村江の戦いで敗れた筑紫の君のサチヨ(所謂九州王朝)が8年間唐に抑留されて、部下自身の希望で奴隷として売った  
  お金で日本に帰って来た動機が、  
  『唐の策略で、2000名の兵士を連れて日本に乗り込むという占領政策を暴く為である。』  
  ということで、記紀間の相当な記述内容が違っている。  
   
  シンガポールで、大日本帝国陸軍の捕虜になったイギリスの大将パーシバルが、8年後にイギリスに帰ってきて、  
  『日本軍が占領政策で乗り込んできますのでと通報してきた。』と言うようなことが、真珠湾攻撃がなければ、  
  Flying Tiger 作戦が成功していたとしても、 USA の 参戦がなかったらならば、あったかもしれない、..  
  と言う統失発言をしたくなるよな雰囲気。  
   
  でも、最近では小生は記紀が本質的に正しいような気がしてきた。怖いよ。  
 
419 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 22:52:49.23 ID:D+kFQpwW0.net 
  九州説と畿内説の論争がずっと続いてきたけど  
  『距離か方位どちらか一方が間違っている』というのが両方の説の唯一の共通点だろ?  
  ならば”数字を盛った”というのが答えだと思うよ  
  現代中国でもGDPとかインチキの数字を出してるだろ?  
  数字を弄り実態より大きく見せるというのは中国人の基本的な性質だと思うよ  
 
422 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 22:57:20.75 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>419  
  いや  
  九州説は距離も方位もあってるよ。  
  水行20日なんて、手漕ぎボートだとたいして進まないから余裕で九州に収まるんだよ  
  畿内説は方位を間違ってたという願望がないと成立しないんだよ  
 
424 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:01:25.34 ID:h7+7Q9Xd0.net 
  >>422  
   
  そもそも九州南部は江戸時代でさえ北部九州と断絶してたし違う民族みたいな感じだったのに、  
  邪馬台国があったとは考えにくいよね。  
 
425 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:03:21.14 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>424  
  なんで?  
  魏志倭人伝の習俗だと南方系だから九州の方がしっくりくるよ  
  魏志倭人伝で説明されてる習俗だと畿内の方が別の民族だろうね  
 
443 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:15:34.38 ID:PXn/9pFf0.net 
  >>425  
  その勘違いの人多いけど、北九州は朝鮮半島からの人々で南の文化圏ではないよ。むしろ北方文化圏にあたる。  
 
445 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:16:46.95 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>443  
  なんで北九州だと思い込んでるの?  
 
427 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:05:26.43 ID:+fY8+qYg0.net 
  >>422  
  ねえよw  
  手漕ぎボートでも余裕でグァムサイパンだわ  
 
439 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:13:13.20 ID:YkyOYXia0.net 
  >>427  
  行けないこともないだろうけど、持衰の9割以上は●されるレベルだと思う。  
 
432 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:08:35.75 ID:D+kFQpwW0.net 
  >>422  
  水行20日の基点てどこだろう?  
  いくら人力でも半島からじゃ20日もかからんと思うけどね  
  単純に数字を盛ったと考えるのが自然かなと  
  方位を間違うことはまずないだろうし偽る意味もない  
  なんといっても自分らが世界の中心なのだから  
 
423 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 22:59:13.85 ID:wrfFfY0F0.net 
  邪馬台国はどう見ても  
  ヤマト国の当て字なわけだが、  
  何でお前らそんなムキになってデタラメな説を垂れ流してんの?  
 
440 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:13:16.12 ID:a+H7WXtE0.net 
  どこかに小さい船は倭船に勝てないって文献見たんだよなぁ  
 
441 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:14:32.37 ID:YkyOYXia0.net 
  >>440  
  倭寇のころの話?  
 
446 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:17:39.53 ID:h7+7Q9Xd0.net 
  どちらにせよ、古墳文化を代表する三角縁神獣鏡は魏の影響を受けた鏡だし、畿内と密接に  
  結びついた鏡だよね。  
  それが全国へ拡散したという事実をみないといけない。  
 
447 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:18:17.23 ID:FDE1CJBD0.net 
  海路→陸路→海路なんだろ?畿内やろ?  
 
448 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:18:40.72 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>447  
  方角があさって過ぎる。  
  大間違い  
 
454 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:23:58.88 ID:FDE1CJBD0.net 
  >>448  
  じゃあこういうのはどう?東シナ海〜瀬戸内海にダイレクトに  
  入れなかった事情があった。敵対する勢力が港を抑えていて  
  敵対勢力地域は船から降りて陸路を使って途中からまた瀬戸内海に入って畿内へ。  
 
455 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:26:43.99 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>454  
  そういうのは、畿内であってほしいという結論が先にあるからおかしくなるんだよ  
  畿内説の人はだいたいそんな感じ  
  文献をまともに読み取らずに、畿内に導くための解釈しかしないんだよ  
 
468 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:35:31.19 ID:pGAUshxg0.net 
  >>455  
  陸行一カ月って博多から鹿児島まで往復できるわ  
   
  九州こそありえない  
  希望が先にあるから理性が曇る  
 
482 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:41:10.79 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>468  
  今みたいに舗装された道ならそうかもしれんけど、獣道なので無理  
 
476 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:39:02.10 ID:h7+7Q9Xd0.net 
  >>454  
   
  岡山は朝鮮半島王族が支配していて瀬戸内は通れなかった。桃太郎の伝説はそれ。  
 
456 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:27:00.14 ID:FDE1CJBD0.net 
  海路→陸路  
  海路→陸路→海路  
   
  どっちが正解なん?  
 
457 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:28:12.23 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>456  
  陸路→渡海→陸路→沿岸  
 
462 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:33:03.43 ID:ikZcj3S10.net 
  >>457>>458  
  船で来て陸に上がったら次の船はどうするの?  
  旅の荷物や贈り物を陸揚げ陸送してまた船に積み替えとか大変だろw  
 
465 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:34:09.61 ID:YkyOYXia0.net 
  >>462  
  積み替えなきゃいけないんだから、仕方ないじゃん。  
 
471 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:37:38.28 ID:ikZcj3S10.net 
  >>465  
  普通は直接目的地の近くに上陸するだろw  
  何でそんな面倒臭いし大変なことするんだよ。  
 
470 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:37:07.45 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>462  
  そもそも旅行自体が大変  
  命懸けだよ  
  すでに大変な事をしてるのだから荷物の積み替えなんて屁でもない  
 
480 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:40:24.94 ID:ikZcj3S10.net 
  >>470  
  大変な旅行なんだから少しでも楽に着けるよう工夫するだろ  
  何でわざわざ苦労するんだよ。  
 
464 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:33:55.51 ID:FDE1CJBD0.net 
  >>457  
  それが正解ルート?でまたゴネるようだけど、韓半島も倭国扱いされてて  
  陸路で韓半島南端まで来て対馬海峡をわたって山陰地方を陸路で  
  そっから大阪湾から淀川を北上して奈良へ。  
 
458 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:28:57.13 ID:YkyOYXia0.net 
  >>456  
  渡海→陸行→水行→陸行  
 
459 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:29:36.76 ID:ikZcj3S10.net 
  >>456  
  海路を来て途中で陸路を行く理由がない  
  海路→陸路→海路は100%ない  
  海路→陸路 が正解  
 
463 名前:婆 ◆HKZsYRUkck [sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:33:13.45 ID:YkyOYXia0.net 
  >>459  
  それは帆船以降の発想だな。  
  手漕ぎの時代は渡海は極力避けたい行程なのだ。  
  ましてや対馬海流を横切った後には、沿岸であってもさらに漕ごうとは思わない。  
 
467 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:35:18.84 ID:MoI4RB7n0.net 
  魏書:  
   
  >倭女王卑彌呼與狗邪國男王卑彌弓呼素不和遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状遣塞  
  >曹掾史張政等因齎詔書黄幢拜假難升米爲檄告喩之  
   
  邪馬台国の「ひみこ:卑彌呼」と狗奴国の「ひみここ:卑彌弓呼」は仲が悪い。  
  弓が一個多いだけ。  
   
  「邪馬台国」は、『邪馬壹国』と『邪馬臺国』と『邪馬一国』と四ツあっても良い訳ですよ。  
  各王朝の大王が、魏呉蜀に対して、そう名乗っても良い。そういうバカな説を唱えるようなものなんですね。  
 
519 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 00:01:29.34 ID:40BgCzv20.net 
  >>467  
  『邪馬一国』と書いた文献は無い  
  『邪馬一国』は脳内変換辞書の中だけに存在する  
 
483 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:41:21.00 ID:FDE1CJBD0.net 
  ま、倭国も1枚岩じゃなかったんだろうから敵対勢力の  
  勢力地域は避けつつ邪馬台国に入国したんだろうから  
  奇妙なルートを通ってても不思議じゃないわ。  
 
490 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:44:55.18 ID:ikZcj3S10.net 
  >>483  
  敵対勢力とかあるならづっと船で行った方が安全だがな。  
 
485 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:42:23.38 ID:1Ia7Q7zH0.net 
  魏志倭人伝の記述は○○里って途中まで距離測で、  
  途中から○○日ってなんで日数なんだよ  
 
487 名前:名無しさん@1周年[age] 投稿日:2016/10/14(金) 23:42:59.83 ID:oSIjJIfd0.net 
  当時の航海は基本陸伝い  
  夜には波の静かな岸辺に停泊して寝てしまう  
  当時は多分アウトリガーのついたカヌーに乗っていた  
  ポリネシアの人々の方が遠洋航海術は長けていただろう  
 
489 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:43:46.70 ID:a+H7WXtE0.net 
  >>487  
  倭の話?  
  支那は無寄港遠洋航海してんで  
 
491 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:45:04.68 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>489  
  一度松浦で上陸してるのだから、その後船に乗るのなら日本の手漕ぎボートしかないだろ  
 
492 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:45:46.65 ID:DyPQS82g0.net 
  >>489  
  安倍仲麻呂(…)  
  鑑真(…)  
 
499 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:48:48.82 ID:a+H7WXtE0.net 
  >>492  
  遣唐使船でしょ。あれは最悪だったみたいだね  
 
495 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:47:49.76 ID:6CeQNqdZ0.net 
  夜の疲れているときに2?先まで徒歩で行ってまた徒歩で帰ってくると約1時間だ  
  道中、暗い中でもね  
  朝から歩いて夕方まででどれくらい歩けると思う?  
  登り坂ばっかりのところでも2?なんか30分くらいで行ける  
 
496 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:48:19.06 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>495  
  舗装されてるからだよ  
 
501 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/14(金) 23:51:23.69 ID:1Ia7Q7zH0.net 
  前スレの↓これだと思う  
   
   
  >江戸明治に琉球王国が日本に吸収されたように  
  >あんな感じで古代に畿内の大和朝廷に  
  >九州の邪馬台国や狗奴国が吸収されたんだよ多分  
 
507 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:53:29.90 ID:l+EGgWZ00.net 
  >>501  
  九州の邪馬台国は神武東征伝説で奈良を制圧  
  その後さらに丹後若狭現天皇家が邪馬台国を制圧  
 
508 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/14(金) 23:53:42.34 ID:ydTeWoHF0.net 
  >>501  
  だと思う  
  出雲の国譲りと同じように  
  併合した邪馬台国が祟り神にならないように東遷した事にして  
  九州鎮護のために宇佐神宮を作ったんだよ  
 
520 名前:名無しさん@1周年[age] 投稿日:2016/10/15(土) 00:04:56.74 ID:lKt9DI4L0.net 
  組下にするには武力が必要だが  
  誰が武器や馬をもってきたんだろうね  
  特に当時の鉄製の鎧は軟鉄が作れないと無理だからね  
  ヤマト王権の先達はどこからか錬鉄技術や馬を仕入れてきたわけだ  
 
524 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:07:06.21 ID:TxcCNrBc0.net 
  >>520  
  それはやっぱり支那大陸からでしょ  
 
526 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:10:40.18 ID:QNrPWCeC0.net 
  >>524  
  砂鉄から鉄を作る技術は近畿に多く、鉄鉱石から製鉄する鋳造は九州に多い謎  
 
532 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 00:14:04.02 ID:MfPMo2dk0.net 
  >>526  
  3世紀には日本に製鉄技術は無く朝鮮半島南部から鉄のインゴットを仕入れていた。  
 
525 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:07:51.25 ID:+Cu6mdfY0.net 
  はっきりと両方に言える どっちもチョンだらけ  
 
529 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:12:08.59 ID:TxcCNrBc0.net 
  >>525  
  北九州の邪馬壹国傘下の国々は半島系と通通だったと思うわ  
  ナラの大和朝廷は支那大陸系が多かったような気がしてる  
  狗奴国は毛むくじゃらの縄文系の国じゃないのかな?あくまで推測ですがw  
 
530 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 00:12:37.90 ID:lkZZMyjM0.net 
  邪馬台国の頃は公孫氏が朝鮮半島を植民地化しようとしていて、邪馬台国とは敵対関係にあったと。  
  公孫氏の蓋がとれてから、魏との融和関係が出来て初めて中国の技術や文化が流れ込んできた感じ。  
  それからだよ。大和朝廷が本格的に朝鮮半島に乗り込んできたのは。  
 
540 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 00:19:35.03 ID:MfPMo2dk0.net 
  >>530  
  帯方郡に拠点を持つ公孫氏が健在だった時期は倭は公孫氏に服属していた  
  公孫氏を通して中国の技術や文化が流れ込んでいた  
  倭にとっては公孫氏の滅亡は大した影響はない。  
 
548 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 00:24:11.61 ID:lkZZMyjM0.net 
  >>540  
  ソースは?  
 
538 名前:名無しさん@1周年[age] 投稿日:2016/10/15(土) 00:17:55.34 ID:lKt9DI4L0.net 
  ヤマト王権がどうやって朝鮮半島南部に足がかり作れたのかは  
  どうも想像できない  
  国内で産鉄が始まったのはかなりあとで  
  当初は半島南部の鉄材がけっこう調達できた事実も理解しがたい  
 
545 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:23:03.51 ID:WSqyZ9W30.net 
  九州と畿内は当時まだ別の国  
   
  邪馬台国は九州だけど吉野ヶ里ではない。  
 
550 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:24:56.13 ID:QNrPWCeC0.net 
  >>545  
  なーんで金印の場所で素直に対馬=やまたいこく  
  にならんのかねえという不思議  
   
  当時最大の文化圏はいうまでもなく遺跡数から奈良だが  
 
546 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:23:53.19 ID:eu+xvFUW0.net 
  邪馬台国と大和朝廷の関係は、連続も非連続もありえるね。  
  (A)邪馬台国が近畿まで伸びて奈良に遷都(連続)  
  (B)邪馬台国近畿支部が独立して北九州を制圧(連続?)  
  (C)他の近畿勢が北九州を制して歴史を書き換え(非連続)  
  個人的にはBじゃないかと思っている。  
 
551 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:27:35.69 ID:TxcCNrBc0.net 
  >>546  
  うーん、個人的にはCかな  
  だがBもありえる  
   
  現代の広域暴力団の組織の動きを見ると  
  ヒントがあるかもしれんなw  
 
555 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:30:03.59 ID:QNrPWCeC0.net 
  >>551  
  出雲と伊勢の国トレードすら史実が解明できてないような考古学で謎がとけるのはまだ先ね  
 
568 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:34:52.43 ID:TxcCNrBc0.net 
  >>555  
  出雲と伊勢の話題に移した方が面白そう  
   
  邪馬壹国は九州北部でほぼ結論出てるし  
  大和朝廷は奈良周辺で結論出てるし  
 
579 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:42:34.46 ID:QNrPWCeC0.net 
  >>568  
  だがしかし、データーから読み解く学者どもだと90%が畿内説を唱えてるぞ  
  俺もヤマトとヤマタイ似てると思うし邪馬台ってヤマトって読めるし火魅子って名前じゃなくて火の巫女だと思う  
  んで火の国といえは熊本で色々伝説あるだろ?  
   
  んでめんどくさいから国としては九州も奈良もヤマタイ国説を唱えたい  
  首都はお前らがまだ喧嘩するなら対馬でいいよ  
 
582 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:43:47.76 ID:eu+xvFUW0.net 
  >>551 >>546 (C)だと、東遷にあえてナガスネヒコとか出さなくてもいいような  
  気もするんだよね。  
 
608 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 01:09:18.25 ID:TxcCNrBc0.net 
  >>582  
  神武東征自体がフィクション小説だろうからな  
  なんらかの意味あって架空小説にしたんだろうけど  
 
560 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:32:08.67 ID:Dge2J9980.net 
  >>546  
  おれもBかな  
  東征した神武天皇に相当する人物は筑紫君磐井の祖先の代の分家かなんかと思ってる  
 
580 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:42:46.73 ID:SU0rul1k0.net 
  >>560  
  やっぱり八咫の鏡が出土した平原古墳が卑弥呼の墓だと思う  
  これって実際にここから出土するまでは「この時代にそんなでけー鏡作れねーよw」みたいに言われてたんでしょ?  
 
585 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:46:27.10 ID:ev3gTVS70.net 
  >>580  
  年代が50年以上合わない  
  八咫の鏡の破片なら箸中で出ているが  
 
596 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:57:55.56 ID:RO5h38t20.net 
  >>585  
  >八咫の鏡の破片なら箸中で出ているが  
  出てねーよw  
  まーたウソツ畿内がw  
 
622 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 01:21:55.16 ID:gSYQCfq10.net 
  >>585  
  よくまあこれだけ堂々と嘘を言えるものだ  
  逆に感心するわ  
 
627 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 01:26:06.35 ID:ev3gTVS70.net 
  >>596  
  >>615  
  >>622  
   
   
  これが単発自演というやつなのか  
 
625 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 01:24:03.45 ID:9t7sdwgk0.net 
  >>580  
  八咫鏡は天皇家でさえ1枚しか持っておらず伝国の宝としたほどの貴重品  
  なのに平原古墳の被葬者は5枚も持ってたんだよな  
  卑弥呼以外と解釈するほうが無理があるレベル  
 
631 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 01:28:25.60 ID:DV9/WZQ00.net 
  >>625  
  平原のは大きさから八咫に無理やりこじつけただけやろ  
 
636 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 01:34:39.33 ID:NC5gKwuq0.net 
  >>631  
  こじつけどころか完全に一致しているわけだが  
  それだけじゃなく模様も記録と一致している  
   
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%92%AB%E9%8F%A1  
  咫(あた)は円周の単位ともされ、約0.8尺である。径1尺の円の円周を4咫としていた。  
  したがって「八咫鏡は直径2尺(46cm 前後)の円鏡を意味する」という[2]。  
  また、後漢の学者・許慎の『説文解字』には、  
  咫、中婦人手長八寸謂之咫、周尺也  
  (咫、ふつうの婦人の手の長さ八寸で、これを咫という、周を計る尺度なり)  
   
  とある。「後漢の一寸」は2.3cmだから、一咫は2.3×8 = 18.4cmとなり、八咫は約147cmとなる。  
  現存する桶代(御神体の入れ物)の大きさから考えると鏡はもっと小さいモノであるはずであり、  
  このことから「八咫(やた)」は単に「大きい」ということを表しているだけで具体的な数値ではない、という説があった。  
  しかし平原遺跡出土の「大型内行花文鏡(内行花文八葉鏡)」は直径46.5cm、円周は46.5×3.14 = 146.01cmであり、  
  弥生時代後期から晩期にこのサイズの鏡が存在したことは確かとなった  
   
   
  また、『御鎮座伝記』に「八咫鏡」の形は「八頭花崎八葉形也」とあり、この「八頭花崎八葉形也」の図象を持つ考古遺物は現在のところ、  
  この「大型内行花文鏡」のみである。  
 
638 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 01:37:01.13 ID:ev3gTVS70.net 
  >>636  
  森有礼は言葉を残していないのか?  
 
643 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 02:12:09.87 ID:zLB5f0Jb0.net 
  >>636  
  円周は半径×3.14  
  3.2でいいとして、半径と直径間違えてないか?  
 
644 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 02:12:44.56 ID:zLB5f0Jb0.net 
  >>643  
  自レス  
  直径×3.14  
 
567 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 00:34:49.26 ID:DWzO5DMv0.net 
  三種の神器を副葬する習慣は北九州にあって、それが3世紀に畿内へ持ち込まれた。  
  ちょうど卑弥呼の時期。  
  空白の4世紀に卑弥呼系統から天皇家への権力の移譲があった。  
 
594 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 00:54:33.34 ID:6xFDNXsz0.net 
  邪馬台国は土蜘蛛か熊襲なのか分からんけど、弥生文化を取り入れて伸長した縄文系の新興勢力  
  玄界灘側の伊都や奴国は抑えられたけど、内心嫌ってたから一大卒を置かれて監視された  
  北部九州グループは半島に近い地理的条件や奴国の実績もあり、魏国にアプローチして倭国代表になった  
  大和は半島に近づきたくても関門海峡を北部九州勢力に封鎖されていたから瀬戸内海ルートで動けなかった  
  だから別のルート、つまり日本海ルートを確保する必要に迫られ、出雲を落とした  
  日本海ルートを確保した大和は大勢力となり西征する  
  玄界灘組は邪馬台国から大和に寝返り、縄文系は押され、南下する  
  大和は追撃戦のために、天孫を降臨させる  
  ヤマトタケルも頑張る  
  神功皇后も頑張り、トヨと名乗って邪馬台国の後継者のフリをする  
  倭国の首都が九州のヤマトから畿内のヤマトにかわり、シナは混乱  
  とりあえず大和からきた使者の言う通りの日数を表記  
  一方、出張中に畿内の体制が変わり神功皇后は孤立する  
  母の仇を討つために応神天皇、別名神武天皇が東征する  
  とまあ、だいたいこんな感じだよ  
 
597 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 00:58:23.54 ID:IOAcsNke0.net 
  大和朝廷が皇族の元である限り  
  九州説は厳しいだろよ  
 
603 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 01:04:51.55 ID:Z0VxsjU00.net 
  >>597  
  神武天皇が九州出身なのは記紀に明記されてるんだが  
  畿内のチョンは知らなかったか  
 
602 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2016/10/15(土) 01:03:16.79 ID:ZEhjRs+E0.net 
  九州の風土的に女を頂点にしないと思う  
 
607 名前:名無しさん@1周年[sage] 投稿日:2016/10/15(土) 01:07:41.04 ID:1jb6TXnz0.net 
  どちらともなくサーッとスレ読んでたんだけど  
  なんつーか、九州人必死だな。やたら攻撃的だし。ちょっと落ち着けよ  
 



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